© 2018 置賜さくら回廊観光推進会議

​山形県

YAMAGATA JAPAN

OKITAMA SAKURA CORRIDOR

時を超え地域を静かに見守ってきた名木・巨木・古典桜達

​南陽市

​長井市

白鷹町

五感で味わう菊とぶどうといで湯の里

伝統が息づく水と緑と花のまち

春のしらたかは古典桜の里

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県指定天然記念物

国の指定天然記念物

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烏帽子山千本桜
赤湯駅徒歩20分・車で5分 (見頃:4月下旬)
25種、約1000本の桜が咲き誇る「烏帽子山公園」は、平成2年に「さくらの名所100選」に選ばれ、置賜さくら回廊の南の基点になっております。置賜さくら回廊の中では一番早く開花します。

大鳥居も見物です。
眺陽桜
宮内駅/徒歩20分・車で5分
高台の公園にある樹齢150年余りのシダレザクラの大木。
"眺陽”は、南陽市を一望できることから命名。
慶海桜
宮内駅/徒歩20分・車で5分
高台の公園にある樹齢150年余りのシダレザクラの大木。
”慶海”は古地名。
小滝明神桜
小高い丘の上にそびえる、しだれ桜とソメイヨシノの2本が小滝明神桜です。
また、明神桜に向かって右側には、コブシの木があり、あわせて3本の花が同時期に咲きほこります。
3色のコントラストが楽しめる、他にはあまり見ることができない桜の名所です。
伊佐沢の久保ザクラ
長井駅/徒歩64分・車で6分(見頃:4月下旬)
樹齢約1,200年のエドヒガンザクラ。高さ13m、枝張り東西19.99mほど。大正13年に国の天然記念物に指定された。坂上田村麻呂と土地の豪族久保氏の娘との悲恋の伝説が残る。
※期間中ライトアップ実施
草岡の大明神ザクラ
羽前成田駅/徒歩45分・車で5分
高さ14m、枝張り東西27m。伊達政宗が鮎貝の初陣の際、戦いに敗れ、この桜の洞に隠れて難を逃れ、後に家臣を遣わして保護にあたらせたという
最上川堤防千本桜
長井駅/徒歩17分・車で2分
大正4年、大正天皇御即位大典の記念に最上川両岸のさくら大橋~長井橋間約2キロメートルに「ソメイヨシノ」300本が植えられ、「千本桜」「土手の桜」として親しまれてきた。
釜の越農村公園の桜群
県指定天然記念物
蚕桑駅/徒歩34分・車で5分(見頃:4月下旬)
樹齢800年と言われるエドヒガンザクラ。樹元の三個の巨石は、この地の西片の山”三麺峯”に源(八幡太郎)義家が居陣したとき、この石でかまどを築き兵糧を炊いたとの伝説がある。
薬師ザクラ
県指定天然記念物
蚕桑駅/徒歩30分・車で3分
樹齢1,200年のエドヒガンザクラ。高さ15m、太さ8m。
薬師堂の境内にあり堂々たる風格を保っている。西暦796年、坂之上田倉麻呂が奥州征伐の時、手植えしたものと伝えられている。
十二の桜
鮎貝駅/徒歩38分・車で5分
通称「種まき桜」とも呼ばれるエドヒガンザクラ。樹齢400年ほどの老木の古株が残り、現在はその3代目が大木となっている。「十二」は”十二薬師堂”の意の地名。
殿入ザクラ
県指定天然記念物
蚕桑駅/徒歩66分・車で10分
樹齢約680年、樹高約16m、幹周約6.6Km。
この桜は、古くから地域の人々に親しまれてきた。文政12年(1829)、藩主上杉斉定が領内巡視のおり立ち寄り、花を観賞したとの伝えがある。
八乙女種まきザクラ
県指定天然記念物
荒砥駅/徒歩10分・車で3分
春の苗代の種蒔きの頃に花が咲くので種蒔き桜と呼ばれてきた。八乙女八幡神社は、八幡太郎義家が京都の石清水八幡を遥拝し、弓矢を立て奉り8人の乙女に舞楽を納めさせた言われている。
赤坂の薬師ザクラ
県指定天然記念物
四季の郷駅/徒歩13分・車で1分
樹齢は970年といわれるおおきな古株に新梢をつけたもので風趣がある。樹木に当地に、元禄の頃江戸に出て芭蕉俳諧を学んだ無路庵東潮の句碑があり、趣を添えている。
子守堂のサクラ
県指定天然記念物
四季の郷駅/徒歩12分・車で3分
樹齢1,200年といわれるエドヒガンザクラ。樹下の”子守堂”には、病弱な城主の子供を無事に育てた後、忽然と姿を消した賤しい身なりの童女(実は仏の化身)の物語が伝えられている。
後庵ザクラ
県指定天然記念物
四季の郷駅から徒歩12分 車で3分
その昔、鮎貝城の北側には一軒の医者(庵)があった。城の後方に存在することから「後庵」と呼ばれており、その傍らには桜の大樹があった。
山口奨学桜
鮎貝駅から徒歩28分 車で5分
明治44年10月、小嶋奨学田碑を建立、その記念に植樹した一本桜である。樹齢88年の時、山口地区教育のよりどころ、地域づくりの心にと念じ「奨学桜」と命名された。
釜の越農村公園の桜群

県指定天然記念物 蚕桑駅/徒歩34分・車で5分(見頃:4月下旬) 樹齢800年と言われるエドヒガンザクラ。樹元の三個の巨石は、この地の西片の山”三麺峯”に源(八幡太郎)義家が居陣したとき、この石でかまどを築き兵糧を炊いたとの伝説がある。